天游トピックス

ぽっくり和尚の法話



◆地獄はあるのでしょうか

 あるお坊さんが地獄の話をすると、聞いている側から「そんなものは実在しません。
仏教が人に悪事をさせないために考え出した方便でしょう。」という反応が返って
きます。しかし一瞬とまどったりしますが、お坊さんはその場で二の句が継げないと
言うことはありません。というのは、お坊さんにしても地球上どこを探しても地獄は
存在しないし、地下を深く掘っても地獄の世界が出現すると思っていないからです。
現代のお坊さん達は、そう非科学的ではありません。
 でもお坊さんの側から「本当に地獄はないのでしょうか。」と問いかけることは
できます。というのは考え方によっては、地獄はあるといえるからです。
 たとえば、「心の中に地獄はある」と言えば、地獄の話で住職が何を言わん
としているかを直感していただけるでしょう。
 昔から、「あるという人に地獄は無かりけり、無しと思える人にこそあれ」
と言う有名な句があります。つまり、地獄があると思っている人には、心の中には
地獄はないが、むしろ地獄はないと言い張る人の心の中には、おそらく地獄は
あるのだ、という意味です。
この言葉は、「地獄をどう説くか」(四季社)より引用させていただきました。
 

◆地獄とはどんなところでしょう
 写真と説明は、「地獄と極楽」(風濤社)より引用させていただきました。

えんま王の使い牛頭・馬頭  
くらやみのなかを  
死出の山  
三途の川  
閻魔王!  
おじぞうさま      
針地獄 火あぶり地獄   
竜の口地獄 火の車地獄 

◆各宗派別「地獄の法話」のポイント

■天台宗
◇地獄を方便として天台教学の「十界互具」を説く
 ○地獄
 最近では、子供をたしなめるときに「地獄に堕ちるよ」と
◇閻魔大王と念仏ばあさんの話で、一心不乱の大切さを説く
 ○一心に拝む
 お経の初めの文句に、「一心頂礼」「一心敬礼」「一心称名」
◇地獄があると信じるから善人になれるのだ
 ○小話(地獄の話)
 さて、本日は地獄のおはなしです。

■真言宗
◇光明真言には破地獄の力があることを説く
 ○光明真言土砂加持法会の功徳
◇真言宗は「生命と宇宙」生死を説く
 ○臨死体験
 
意識に残っていた言葉は「運べないので救急車を呼ぼう」と言う住職の正秀の
言葉であった。 それが最後で、気がついたら8月5日であった。
◇『理趣経』で言う「大欲」の意味を説く
 ○欲望
 
世間の人々のうちで、欲のない人は皆無に等しいのではないでしょうか。
 仏教では、人間の持つ様々な欲望を火に譬え欲望の火を消した状態を涅槃という。

■浄土宗
◇うちの寺では、地獄をこう説いています。
 ○本当の地獄はどちらか
 
うそを言うと針千本のまされるよ、閻魔様に舌を抜かれるよ、
 悪いことをしたら地獄へ落ちるよ、善いことをしたら死んでも極楽にいけるから。

◇地獄との対比で「浄土」のすばらしさを説く
 ○阿弥陀様、私をお救い下さい
 
浄土宗の教えとは阿弥陀様の本願を信じてそのなを称える(念仏)と
 極楽浄土に往生することができるとする教えです。

◇日常の心の保ち方次第で地獄も極楽も現れる
 
ある人が極楽と地獄を見学にいきました。まず地獄に行きましたが、
 地獄には閻魔様がいて・・・

 ○三尺箸の譬え
 
食事を食べるときの一つのルール、それは三尺の箸を使わなければならないと
 言うルールです。
 三尺箸は長すぎてだれ一人自分の口にごちそうを入れられません。・・・

■浄土真宗
◇地獄は一定すみかぞかしの意味を説く
 ○地獄の反対とは何か
 
人間という言葉には色々な解釈があるのでしょうが、
 私は、“人と人の間に生まれてくる者”と考えています。
 地獄の反対は、何でしょうか?・・・極楽でしょうか・・・
 “無関心”であるとの意見が出ました。
 ○歩むべき方向はお浄土

 親鸞聖人は阿弥陀如来という大いなる命と出遭われて
 自らの居場所を地獄は一定すみぞかしと語られました。
 私の居場所が地獄であると気づかされたときにこそ歩むべき方向は浄土
 (いのちが等しく輝き合う世界)であると知らされます。
◇地獄は自業苦である
 ○地獄・極楽は私の心の内にある・・・

  「地獄は言葉の通じない世界。極楽は言葉の不要な世界。」

 今年もお盆を迎える中に故人を偲び、故人の願いを聞かせていただき、
 仏法を聞かせていただき、地獄、極楽の世界を味わってみたいと思います。  合掌。

■臨済宗
◇地獄は妄想であるが反面教師でもある
 地獄とは、私たちが持つ死後の恐怖であり、そこに堕ちる
 ことへの不安にさいなまれるものです。白隠も、幼いときに
 教えられた地獄のすさまじい様相におびえ、地獄から逃れたい
 という一念で信仰の道に入ったのでした。
 しかし、地獄や極楽といったものは人間が不安や恐怖心から
 つくりだした妄想である。
◇そこが地獄と言うものじゃ
 名声高き白隠禅師のお寺に、ある一人の武士がやってまいりました。
 武士は「禅師よ、地獄、極楽などというがそれは一体どこにあるのか」
 と問いました。
 すると禅師は「おまえは武士であろう。武士らしくすればよい。
 地獄だ、極楽だとそんなことに迷っているようでは本当の武士ではない、
 にせ者じゃ!」と罵倒しました。すると武士は、「失礼でござろう。
 人が仏法を丁重に問うているのにそれに答えず、わめくという法があるか」
 といって腰の刀を抜き放ったそれを禅師はひらりとかわし、こういった
 「それ、そこが地獄というものじゃ」。ハッと気がついた武士はその場
 に手をつき「お見それ致しました。ご無礼の段、平にお赦しを・・・・・」。
 すると禅師は間髪を入れず「それ、そこが極楽じゃ。」
 と破顔大笑されたそうです。
◇ブッダは「嘘を言う人は地獄に堕ちる」と言った
 ○妄語は地獄を呼ぶ

■日蓮宗
◇悪い心をもてば地獄にいる

◇日蓮聖人が消息で答えています。
 ○地獄は心の内にあり

◇大切なのは畏怖心をもてるようになること
 ○根本的な悪や罪を理解させるために地獄は必要




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